Appleと買わない理由作文の親和性

昨今話題になっていたコレ。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/14/news073.html

書いた本人はわりとザンシンなことを書いてると思っているように見受けられるが、Appleユーザー&ウォッチャーにしてみればそんな買わない理由作文は、さよなら絶望先生の「百万回言われた猫」の回じゃないけど、もう100万回くらい聞かされているわけですよ!そしてヘタしたら自分も何回も言っている。笑。特にMacProユーザのオレからしてみれば、もう買わない理由作文なんてミミタコで、スレでは投稿禁止なNGワードですよ。

とはいえ、そういうのを呼び込んでしまうのもまた、Apple製品のApple製品たる所以なのであって。Apple製品は、いい思い付きがあったり、見た目&概念的なデザインがよかったり、インタフェースがなかなかよく考えられていたり、楽しかったり、うまく使えば高い生産性が得られたり、とにかく人目につく魅力的なところはいっぱいある。一方、それと同じくらい傷も多くて、でかい筐体しかなかったり、壊れやすかったり、高かったり、殿様商売だったり、面白いけど実用性に欠けていたり、分かりやすそうでいて実は使い方を理解しないとさっぱり良さが分からなかったり、安定性に欠けていたり、コールセンターがアホだったり、ネットワークサービスは落ちることが多かったり、重かったり、小さすぎたり、容量が少なかったり、再生早送り巻き戻し停止ボリュームボタンがなかったり、拡張スロットが多すぎたり、なさ過ぎたり、ノイズが多すぎたり少なすぎたり、デザインが可愛すぎたり、デザインが無骨すぎたり、それだけじゃなくボクガヒツヨウナアレトアレトアレノキノウガナカッタリ、するわけですよ。

「なにを、どうやりたいか」という所にフォーカスをして、それに必要ないものは容赦なく切り捨てる。いや、必要ありそうでも切り捨てる(笑)だから、そのデバイスがやりたいこと、こう使われて欲しいと思っていること、それを見いだしていく必要があるんだよね。そこに寄り添おうという姿勢は、別に信者だからとかじゃなくて、短所を認めた上で長所をいかに伸ばしていくかを考えたほうが面白いから。頑なに短所を認めないなら宗教だけど、短所はある、と認めた上で、それをどうカバーしながら長所を生かしていけるかを考えたほうが面白いし生産的だ。自分は、出来るだけ短所をなくしたような八方美人的なデバイスには魅力を感じないから、そういう姿勢をとっている。

その上で、短所が自分の受け入れられないくらい多い&致命的なのであれば、それはそれで、尊重されるべき一つの判断です。ただし、それはカタログスペックや思いこみで語っても仕方がない。上で短所とされているような部分も、使ってみたらあまり気にならないかもしれない。遠からず修正されるような些細なものかもしれない。一方、長所とされている部分もよく考えたらそこまでではないかもしれない。必要ないかもしれない。実際に触れてみて、理解をしようと努力する必要がある。また、それをしようとしたことが読み取れる、信頼できる情報に触れる必要がある。長所だけしか見えなくなってマンセーな雰囲気に流される日和見党も、それに反発して、短所だけしか見えなくなってネガコメばかり書くあまのじゃく党も、同じコインの裏表。実際に使ってみて、長所と短所を見極める、そしてそれが自分にとってどういう意味を持っているかを認識する、という姿勢からは遠いところにあります。

現段階のiPhoneは、でかすぎて重すぎて壊れやすそうで高すぎてMacが無ければ使えなかった初代のiPodと同様、だれでも使えるものではありません。しかし、鍛えれば"その後のiPod"になりうるデバイスであることは確かです。